令和元年12月1日
蓼科高等学校3学級維持について
前 県議会議員 今井 正子
蓼科高校2学級問題は、約20年前から県教育委員会から提示されては覆してきました。
19年前の100周年に向かっている時、夏休み明けの職員会で校長先生が「来年は2学級にするので教育課程をつくるように」「外の人には内緒だ!」と言われ、100周年記念のために学校によく見える遠山町長や 倒れた議長に代わって山越敏子副議長に隠していることは苦しく、とうとう円形脱毛症になってしまったものでした。家庭科室に女性教員皆で校長先生をお呼びし「なぜ100周年に向かって皆も地域も燃えている時に2学級にするのか? 100周年式典に頑張っている町長、同窓会、PTA、議会や町民に内緒で、式典が終わったら告げるのは卑怯ではないか」と聞いたら机をたたいて 「上り調子で勢いの良い時だからこそ2学級(40名減)にするんだ。生徒が減って下火に なってからではだめだ」と言われました。最低な卑怯者と思ったけれど、言い返すことはできず女子職員皆で打ちひしがれた。校内は3ヶ月間 来年は2学級と進んだが、その間に町長が粘り「命を懸けて蓼高を守るので、県教育長が辞めたら2学級を考える。それまでは2学級などを考えない!」と県教育委員会に保護者含めて20数名揃ってバスで向かい、強く要望し3学級を守り切った。
しかし、県教育委員会はその年の生徒募集にあたり丸子、上田東、東部高校を1学級(40名)ずつ120名(蓼高の定員と同数)増員して、蓼科高校入学者は68名となり、そのA校長は松本県ヶ丘の校長としてご栄転。次に赴任した高山校長は68名を2学級扱いせず「3学級」として頑張ろうと 言われ、翌年は120名定員をオーバーの志願者があり皆で泣いた。その翌年 校長と事務長(県教委)、今井(県議会)も県庁に行くことになった。「68名」にも屈せず、時の町長は県から「希望者もいない」と数を言われたが、「周囲の3校をわざわざ増やさず、昨年と同じ条件に戻したら、昨年と同数かそれ以上が来たはずだ。条件を変えずにやってから物言え!」と決して折れなかったのです。
本年8月1日に同窓会長から校長会で学級減の話が出たことを偶然聞き、即高校へ飛び佐久より上小の方がずっと多い「調整高校」だという事を伝え、頑張ってみるという言葉を信じ、又 町長に心配で聞いても「内々でやっていますから」と話もできず、同窓会長からも11月に入っても「今年は3学級維持は大丈夫です」と言われ、11月11日の定例教育委員会の直前、はっきり「3学級維持」と課長が言わないので危ないと思い県庁に飛ぶと「2学級」となっていたのです。委員会後の県教育長会見でも その件と校長等人事に対し質問すると、続いて竹花議員が「望月がなくなった今、すぐ蓼科では!この地域は疲弊してしまう。再考を願う」と発言。翌日にでもすぐ抗議するならともかく15日に整えてやっと要望。しかしマスコミにも載らず…。認めてきてしまったような感じなのでしょうか?
その後の高校の評議委員会では、土屋春江さんや竹花信明さん方々等からも、「2学級からは毎年入学者数にチェックがつき、廃止か分校に向かう」と3学級維持を訴えられたと聞く。
又 長野大学の兎先生のように4コースとしてグランドデザインされた先生も大変困っていたとの同窓会長の言葉でした。
どうされますか?直後なら先決事項といっても同窓会長、PTAはじめ町当局、振興会(副)の長和町、上田市、教育長、議会で出掛けしっかり3学級(いずれ35名×3=105名 やがて30名×3=90名と少人数化しても)維持を伝え『中山間地存立校』とされた時点で、『120名(3学級)が望ましい』との明記の中で二期再編に向けて魅力ある学校づくりをグランドデザインし、4コースを考え、パンフレットにうたい、中学生の体験入学、中学校まわりもすべて行った後での2学級は納得がいかないと伝え、新聞等PTAの親達、又 中学校のPTA会長たちの声を載せながら覆す可能性はあったはずです。教育の世界には何事も「絶対だめ」という事はなく、県教育長曰く「あくまで地域の意見を聞いて」という中で、地域懇談会も佐久地区は行われないうちに、第6通学区(佐久)の中学卒業生75名マイナスを半数以上、第5通学区(上小は27名プラス)から入学者のある蓼科高校1校が受け止めるのは実状に合っていないと思います。(そのために15日の朝、知事、教育長、第5通学区の4県議にも状況をお伝えしておきました)
もう、2学級という決定なので、従ったというなら次の要望を早急に出された方がよいと思われます。教育長、同窓会長、校長先生とは話しましたが、12月3日の17時が陳情締め切りなので。
1.志願者が80名を超えた場合は入試により合格者を80名以上(2~3名ではなく志願者数に応じて)出せること。もちろん定数以上の数については町も全面的に協力する。
2.募集要項のとおり3学級体制でコースを組む予定なので、来年度の教員定数を維持できるよう過配をお願いしたい。
等の陳情(要望だと県の教育委員会(8F)の中で処理されてしまう)しておかないと「80名」が上限となり、翌年から志願者が減った場合、そんなに長年経たないうちに、「全校160名」という10数年前の一期再編のルールが同数のまま今後10年の二期再編もついている限り、大変厳しくなるかもしれない。(これも先例がすべてそうだからと決めず、特別な頑張りがあれば可能性がないとは言い切れないが、「3学級堅持」を県に訴えていくのと違い、保護者、生徒の選択なので更なる努力は必要だと思う)県立高校の存在は近隣行政ともつながり町の存続、発展をも左右すると思うのですが、いかがお考えでしょうか。
前回の陳情「3学級維持の要望」は9月定例教育委員会(9月10日)の前にやらねば委員会の議論にならないと気をもんでいましたが、終了後の翌日11日でした。10月は定例教育委員会はなく、次に教育委員さんの集まるのは11月11日、「2学級」の資料が出された時でした。よって委員会の中では蓼科高校については何の説明、議論もなく又委員からの質疑もなく終わりました。その上議会宛には提出してなかったので、一般質問にも文教委員会の中でも蓼科高校にふれることはありませんでした。地元の3県議は11月11日1学級(40名)減の発表後、15日の県教育委員会担当者との話し合いに同行依頼状が来て、初めて3学級維持を要望していたことを知った状態でした。まだ今の時点で認めないならその旨の陳情を、認めるなら上記のような陳情が至急必要と思われます。立科中学校や上小の中学校の先生方や保護者、生徒からは心配の声が届き、3学級(120名)維持の思いを県教育委員会に伝えたいと陳情(要望、嘆願)の覚悟もしています。
現状を知らない町民も多く、知った途端署名活動をと訴える人もいます。長い歴史の中で、どの家も蓼科高校の卒業生がいる町だからこそ、蓼科高校の存続発展は町民みんなの願いです。