力強い今井議員の一般質問に対して、不快感をあらわにする村井知事。どちらが、時代を読み、県民の真の幸せを願っているか。疑問をすっきりと県民の前に答えるのが、トップに立つ者の使命。「こころは硝子張り」。おかしいという思いは、おかしいことがあるからみんな「感じるんです」よ!以下に記します。
今井議員 2月定例会一般質問 平成22年2月25日ツꀀ
常に県民の目線に立つトライアル信州。ツꀀ駒ヶ根病院の事故で亡くなられました若者のご冥福をお祈り申し上げまして、今井正子が続きます。ツꀀ
1)危険で無理な浅川ダム建設についてツꀀ
「『やっていいことと、悪いことがある』という言葉は、まさに浅川ダム計画について当てはまるのではないだろうか。」と始まる浅川・千曲川対策会議会長の40年来の思いの詰まった『危険でムダな浅川ダム』が出版されました。ツꀀ
昭和46年予備調査が開始されて以来、40年が経過していますが、このように着工が遅れた原因は、ダム予定地点の地質が劣悪なためであった。この間に、浅川が増水して危険な状況になったことはなかった。ツꀀ長野県には17の県営ダムが造られているが、浅川ダムはそれらと同じ時期から検討されていながら、どうしても着工ができなかった。ツꀀ
20年経過し、もう浅川にダムを造るのは無理だという判断が生まれていた時、冬季オリンピックの競技地点に通ずる地附山の道路が地すべり崩壊し、会場への新たな道路が必要となって再燃し、平成3年ダム建設(380億円)を決定、平成5年取り付け道路(200億円)着工。そしてオリンピックが行われ、平成12年9月本体工事着工を押し切った時、田中知事が当選。ツꀀ
11月の『一時中止』、翌13年2月『脱ダム宣言』。2月議会において、一昨日質問された竹内議員が「脱ダム宣言について、一定の理解を示した者として、総合治水・利水という観点から」と提案された、長野県治水・利水ダム等検討委員会条例が制定され、11月には浅川部会も設置され、翌14年3月までにはなんと13回も実施し、6月7日には「ダムによらない浅川治水対策」の答申が出ました。ツꀀ
その後、知事不信任、再選。9月25日本体工事契約が解除になった。ツꀀその間、「全国で70を超えるダム建設計画が中止になっているが、中止決定時に詳細な代替案があるところはどこにもなく、実情に合わせ、時間をかけて検討している」と、当時地元で竹内議員と同様、熱心に浅川問題に立ち向かっていた石坂議員は発言していました。(また、その時点で「100年に一度450トン」と動かせない目標案に対し)初めて「基本高水検証」の為の流量観測の予算がついていました。驚くことに浅川は「流量観測」がなされておらず、データーがなかったのです!ツꀀ
その後は、治水・利水対策推進本部と共に(115人の住民と)行政による「浅川流域協議会」も設定され、まさに、竹内議員の言われたように更に4年間議論を重ねたのです。土木部課長河川課長を中心に住民の皆さんや専門家の意見を踏まえ、精力的にいくつかの案を検討し、青山出納帳を先頭に国交省に通ったと聞いています。時の国交省は「当初のダムありき案」を基に、「基本高水は変えず」の姿勢ですから、簡単にはいきませんが、17年来から図面を持って協議をした経緯があります。18年6月を最後に、岡谷、諏訪の大雨被害に集中し、知事選挙、9月1日、村井知事就任となりましたが、あのみんなで頑張って作ってあります「河川整備案」は、その後どうなったのでしょうか。知事にお伺いします。 ツꀀ
当時、10月4日、治水目標「100年に一度基本高水推量450トンとすること。ダムという選択肢も含め検討」となり、11月1日議会で承認され立ての腰原服知事が議長となり、一ヶ月後の2月7日、同会議で「治水専用ダム(いわゆる穴あきダム)」と「河川改修」による方針が決定。(翌8日、知事が表明。4月24日~6月20日、住民説明会2回、浅川流域協議会説明1回、公聴会3回、学識者からの意見聴取3回、長野市・小布施町首長より意見聴取1回。19年7月9日認可申請、翌8月即、認可、現在に至ります。)ツꀀ
2月4日、三日月政務官には何をどのようにお話になられ、懇談後、予算付けを確認された根拠は?ツꀀまた、「議論を尽くした」と言われますが、ダムによらない治水対策を検討したのは田中県政下の6年であり、「ダムなしからダム有りまで」と、言われましたが、「ダムなし」の部分の検討はどうなされたのか?コンサルタント会社から出された「穴あきダム」は、前県政下に却下されたものであるが、却下の理由をどのように認識されておられるのか。また、適切として再度決定した理由を、お願いいたします。ツꀀ
昨年「コンクリートからひとへ」と訴えた政党が大勝しました。その結果によってダムを辞めた知事、西大滝ダムによく似た熊本荒瀬ダムのように撤去を決めた知事もいます。19年のあの時点では仕方がなかった。当時の国交省の考え方では、竹内議員も書かれたように『国の認可が得られ、一番財政的にも現実性があったのが『可道内遊水地(穴あきダム)』であり、知事も(河川管理者として)あらゆる科学的・技術的な知見を踏まえてていねいに検討したのですから、あの時点では仕方なかったと思います。ツꀀ
しかし、政権が変わられたことをどう捕らえますか。それを「警告1」とすると、「警告2」は、長野市長選の世論調査で、62,3%の人が「浅川ダムを見直し必要あり」としたことです。「警告3」は、12月15日に前原大臣が各知事に協力を呼びかけた「できるだけダムによらない治水計画に協力依頼」です。「警告4」は、国交省の基本高水についても討論するという「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」により、個別ダムの検証を始めていることです。なぜ、待てないのでしょうか?ツꀀこの警鐘とも思える4点について、知事のお考えをお尋ねいたします。ツꀀ
―写真パネル提示―説明―浅川の工事後の写真です。浅川は常に土砂を運んでいる川なんです。3ヶ月後・6ヵ月後でこんなに貯まるんですよ!ツꀀ
知事、時代は変わったんですよ!ツꀀ
知事の見栄やメンツであるかも知れません。ここに、新聞に出ていますが、17日の知事の会見では、『基本高水』について、前原大臣が「ダムを作り続けるための方便だ」と、見直しをしていることについては、「変えてはいけないというつもりはない」と述べていますが、(その上で)「現行の治水計画の議論をした3年前には、国交省には基本高水を変える考え方はまったくなかった。ここへ来て変えるかもしれないと言われても、これまでの論議を全部白紙には出来ない」とおっしゃっています。ツꀀこれは知事のメンツでやることではないです。ツꀀ
政治決着ではありません。ツꀀ本当に住民の命です。ツꀀ
何だって科学が進み人々の知恵が、より人間が自然を大切に出来る方法へと進んできます。それは当然のことです。その時は仕方なかった、最高の選択だと思います。でも、時代が変わったのです。いくらでも撤回できると思うのです。同でしょうか知事、御所見を。ツꀀ
2)知事の政治姿勢についてツꀀ
昨日は、右近参事の一周忌でありました。ツꀀ
知事におかれましてはその後、続いて地元木曽の下秘書をされた方が自殺されるなど、関係するお二人が尊い生命を絶たれ、さぞかしお悲しみの1年だったこことご推察申し上げます。ツꀀ私も、ただただお二人の成仏を祈り、ご供養申し上げます。ツꀀ
昨年の今朝、地元紙には「村井知事元秘書、県参事が自殺・・・、高校野球部員が発見―――」、同年齢の同じく子どもを持つ親がまさかとの思いでしたが、翌日には「村井知事周辺に1000万円超。――――西松建設関係者供述」との見出しで、東京地検特捜部に複数回事情聴取されていたことがわかった。直後、小沢一郎氏秘書が即逮捕。様々な取調べの中から、3月15日産経新聞に「西松献金、首長ら複数政治家側に・・・ダム受注目的、長野・大分でも」という見出しで、「捜査関係者によると、18年知事選前に西松から村井氏側に渡ったヤミ献金は、前任の知事に「脱ダム宣言」で中止になった浅川ダム工事計画の復活を見込んだものだった疑いがある」と書かれていました。ツꀀもちろん、知事は「知らない」とおっしゃっていますので、私も議員の端くれとして、お金は長野と地元の事務方にほとんどお任せなので知事のことは信じられます。しかし、県民は「やっぱり、ダム造るんだ。40年もかかっていていて、急を要さないのに、国の考えも大きく変わったのに、なぜ結論の出る前にあせって・・」と、思ってしまいます。ツꀀ
疑惑のかかったまま、亡くなった方たちの為にも「裏でそんな公約もしてないし、やめられるよ」と、はっきり打ち消していただきたいと思います。ツꀀ知事!ご発言がありましたら、伺います。ツꀀ
「ダム有る所、金有り。金有る所、政治家・官僚」と言った構図が、国民に植え付けられ、政治不振の極限が選挙による初の政権交代へとつながったのではないかと思います。ツꀀ国土交通大臣となられた前原氏が八ッ場に視察に来られた日、軽井沢から45分の群馬県長野原町に住む友人から弾んだ声で電話がありました。ツꀀ
「前原大臣、説明受けてね、あたりを見渡してなんて言ったと思う?『美しいところですね』って言ったんだよ」。その言葉で「ああ、これで八ッ場は守ってもらえると思って嬉しくて・・・」と言った後、「長い間、うちらは政治家の食い物だったんだよ。だって、そうでしょ。村は、最初全員反対だったんだから、止まるはずでしょ。その間、首相が4人も出ているんだよ。」ツꀀ
無理して工事をスタートして、浅川の人達に八ッ場の二の舞にはどうしてもなってほしくないのです。知事、お願いいたします。ツꀀ
(引き続き)政治姿勢について、公務員が県民のパブリックサーバントであるということについて、知事はどう思われるでしょうか。そして、県財政につきまして、知事は常々『選択と集中』といってきましたが、それは、何を特に集中・選択をしてきたのでしょうか。ツꀀ
3)人事についてツꀀ
副知事2人制、議員時代の秘書を県職員として採用されました。再就職の斡旋もしています。それから、国からの職員も受け入れています。それから、ツꀀ教育委員会の自主性。特に教育委員の任命、委員長の任命につきましては、2回とも「委員長含み」とされていることについて、どう思われるのか。また、今回の人事委員長の辞任につきまして、(任命権者として)知事はどう思われますか。ツꀀ
4)組織についてツꀀ
大阪事務所、名古屋事務所等、外郭団体を一時止めていたものを復活させました。また、観光を部設置した経過と今後の見通しについて知事に伺います。ツꀀ
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一般質問初日、島田代表・今井議員と続きました。島田代表の哲学ある「さとし」は、ボディブローのような働き。以下に全文を載せました。
島田代表 2月定例会一般質問 平成22年2月25日ツꀀ
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知事の現状認識と政治姿勢についてツꀀ
ツꀀ
お早うございます知事の現状認識と政治姿勢について順次質問します。ツꀀ
今、日本の産業経済社会を始め自然、歴史、文化迄もが、皆衰退に向っています。バブル崩壊の処理の失敗がその第一で、それを決定的にしたのは国民不在の「小泉構造改革」でありました。日本の「再生戦略」を考えるには、「小泉構造改革」の失敗に対する真摯な総括が必要ですが、先ず知事の見解をお聞きします。ツꀀ
ツꀀ
知事は就任当初から、県民の声は市町村長を通じて県へ上げられるべきと言う姿勢をとってこられました。その後、各地で県民と直接話し合われる機会もつくられましたが、知事の基本理念が中央政府を頂点に、その下に都道府県があり、市町村があり、住民が有るという行政のピラミットを尊重するものと言う前提があっては、本当に心ある県民が直接に知事と話すことの意味を認めるとは思いません。ツꀀ
最近市町村長選挙の投票率、あるいは無投票で選ばれる状況を見ると必ずしも民意のありかが正確に反映されたとは言えず、市町村長のみが住民の意見を代表すると言う事は誤りではないか、それでも知事は、現在でも、県民の声は市町村の首長を通してのみ受け入れるべきとお考えかどうかお伺いします。ツꀀ
一方で、ピラミットの頂点にある国政は、国民一人ひとりの選択によって、政権交代と言う劇的転換をとげました。明治維新以来の無血の平成維新と私は捉えております。明治維新は、坂本龍馬、西郷隆盛、佐久間象山、上田藩士赤松小三郎ら、武士道魂を持った人々の犠牲の上に実現したものですが、その後の国づくりは富国強兵、殖産振興を掲げ国威発揚を謳いつつ強固な官僚支配社会が形成されました。近年明治以来の巨大組織は腐敗と疲弊の極みに達し、金融破綻が如実に示す、グローバル化した近代資本主義の行き詰まりとなり、現在の不況、格差社会、雇用の悪化を招き、結果国民と国、県の財政をどうしようもない窮状におとしいれております。知事ははからずもマスコミのインタビューで「こんなに金が無いとは思わなかった」ともらされましたが、それはあまりに無責任な発言ではないでしょうか。ツꀀ
ツꀀ
現在の不況、それによる県財政の悪化を世界経済の動向の影響だとだけ捉えて、どうしようもないと言わんばかりの評論家的発想は、前田中知事の自分が泥をかぶってでも、県の財政を立て直そうとした努力と大きな違いが有ると言わねばなりません。他力本願で、わずかな不況脱出傾向にすがっていても、それは、県財政立て直しの根本的な解決にはなりません。知事は議案説明の中で「今の社会に漂う閉塞感を打破し、県民が地球の将来に希望を持つ為には、確かな展望の下、活力ある長野県を築く道標を示す」と言っておられますが、そのために行うべき施策の説明は、閉塞感に溢れた全く官僚的な作文に終始しております。明治維新以来の政治、経済社会の方向づけを180度転換すべく国民が選択した政権交代をどの様に認識し、どの様に閉塞感の打破と結びつけ、活力ある長野県を築く基本理念の構築に生かしてゆくお考えなのか御所見をお伺いします。ツꀀ
ツꀀ
本当に住民が望む公共事業を行う為には、中央で行われたような開かれた「事業仕分け」が行われるべきなのに、何故実現できなかったのかお伺いします。ツꀀ
ツꀀ
民主党政権の実現は、官僚主導から政治主導、国民主導への道筋をつけたものです。しかし、明治政府による最初の制度改革である廃藩置県は実施に4年掛かっております。戦後の占領下での改革も、中道左派連立政権等様々な試行錯誤を経て吉田茂が安定政権を樹立するのにやはり4年掛かっております。歴史的節目では混乱はつき物です。ツꀀ
このたびの政権交代で、一番に特質されるべき事は物事の決定と実行の仕組みが根本から変わることです。官僚がお膳立てをして、自民党の族議員が決定する従来型政治システムでは国民全体が豊かで幸せになれないと皆が気づいたことから出発しています。ツꀀ
しかし、それが軌道に乗るまでは、ある程度期間が必要でしょう。その間に、揺らぎも出ればブレも出る。そのブレや揺らぎが、国民の目の前に常にさらされている事が評価されるべきでしょう。見えないところで動いている政治や行政に、もう国民は騙されません。その様な中国民の関心をひき、賛意を得たのが「事業仕分け」でした。反対党の議員からも「あれは羨ましかった」と言う声が出たほどです。言い換えれば、あれが出来なかったことが自民党の野党転落を招いたとも言えます。国民の目の前で、国民の税金によって実施される事業の実態が議論され評価される。この当たり前のことが、長く行われてこなかったのです。ツꀀ
今、公共事業が無駄使いの代表の様に言われておりますが、その必要性が、あの仕分け作業のように公開の場で議論され、認められたものであれば、けして一概に否定されるものではないはずですし、実施される公共事業は本当に国民の為になるものであるはずです。知事は経済活性化の大きな柱として、公共事業を上げておられますが、国において大きな評価を得た「事業仕分け」と言う公開の場で議論する手法を予算編成にあたって全国に先駆けて何故取り入れようとされなかったのかお伺いします。ツꀀ
また、もちろん行政と議会との関係は、中央とは全く違っておりますから、同じ手法を取る事は出来ないことは十分承知しておりますが、受益者と知事、あるいは行政担当者と知事との、事業の必要性と予算付けの是非を問う議論を公開することは決して出来ないことではないと思います。如何でしょうか。ツꀀ
それとも予算編成というものは、県民の目の届かないところで行われ、県議会においてのみ議論され、原案通りに可決されなければならないと現在でも思っておられるのかどうかも合せてお伺いします。ツꀀ
ツꀀ
ここで村井知事に新しい時代に対処する意識がおありになるかどうかお伺いします。他の都道府県より先に出たくない、他県の後ろに従っていれば間違いないのだと言うのが知事のお考えのようですが、この変革の時代にその保身術が適切なのかどうか。ツꀀ
もし前田中知事でしたら、早速他県に先駆けて、仕分け的手法を何らかの形で取り入れただろうと思います。新しい施策を次々と実行していった前知事には、確かに勇み足もあり、手法上の問題もありました。しかし、そうした施策を手本にしたいくつかが、現在宮崎県や大阪府で実施され、県民府民に大きな利益をもたらし地域に活気を生み出していることも事実です。知事は「司、司で仕事を進める」と言っておられますが、「司、司」では県民の声を直に受け止めることは出来ません。政権交代によって否定された官僚主導を基本に置くセクト主義を奨励するような県政運営では、経済力以上に本県の活気が失われ、全国の中で最も遅れた県という立場に甘んじなければならない時代が来る事も十分考えられます。知事に新しい時代に対処する意欲がお有りかどうかを確認の為お伺いします。ツꀀ
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ここで、明治以来国を正しく治めるための法律を官僚支配を固める為に、元を直さず作り続けたために数が増え、複雑化したことで一般国民にはわかりにくいものとなっています。その上、公社・公団・外郭団体等天下り先が増え無駄を生み、癒着・腐敗・悪政などの温床になってしまいました。法律を整理し簡素化し、国民に解り易くする必要があると思いますが、知事の現状認識と御所見をお聞きします。ツꀀ
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次に、現在の世界の金融資本主義経済社会ではアメリカ主導で、最後にはアメリカ主体の国際資本家だけが勝つようになっています。それらの組織に迎合する学者や高級官僚、政治家達が真面目な日本人を巻き込んでしまったのではないですか。また、日本は何万年も前から島国の中で限られた自然を大切にし、自然と共生し続け、世界に類例のない日本固有の自然基準の『和のこころ』を育て、『和の文化』を受け継いできました。今、もう一度日本人は『本当の日本』を学び直し,日本人の心を取り戻す時期が来ていると思います。『自然とつながる和の心』を知事も忙中閑を得て、日本の心の原点を学んでほしいと思いますが、知事の御所見をうかがいます。ツꀀ
又、現状の日本は、金儲け優先の大企業支配で生活・文化まで配給された社会です。国内メーカーでも海外生産に頼る部分が大きくなっています。せめて身近な暮らしの衣食住の部分くらいは、可能な限り自給率を高め、地域社会を再生させる地産地消・地場産業の手でまかなうべきと考えますが、知事の認識はいかがでしょうか。ツꀀ
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次に、経済に関する大半の報道は大企業に関するものであります。日本経済の中心は『国民の生活力』であり、それを支える中小企業だと思います。我々の関心を向けるべき場所、重視すべきはそこではありませんか。知事のご認識は。ツꀀ
又、公務員の給与を決める人事勧告制度は、働く国民の80%以上を占める50人規模以下の事業所の数字は考慮していません。これは大多数の国民の生活実態を無視した現実とかけ離れている制度と思いますが、知事の御所見をうかがいます。ツꀀ
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最後に、1970年代にブータン国王が提唱した国民幸福度GNHですが。この2009年版の指標によると、日本は世界75位であり、経済大国は軒並み低位にあります。環境や幸福が国民にとって重要であり、高額の生活費用の都会よりも小国や地方のほうが生活環境は快適なので幸福指標は優位です。ツꀀ
日本では経済で東京を筆頭とする都会が優位ですが、生活や環境では地方が優位です。また、長野県と日本が向上を目指すべき指標はGNHばかりでなく、文化大国を目指し文化度GNCを向上させるべきです。GNCの源泉の文化資源は地方にたくさんあります。地方にはその地域でしか味わえない世界の日本食ブームの源となる郷土料理が豊富に存在します。また、自然景観、和風の街並み温泉などは地方独特のものです。ツꀀ
さらに地吹雪や民家の雪下ろしなど、地元住民にとっては迷惑でしかないものも人気の体験旅行になってます。旧武石村には日本の農村の姿と暮らしの原風景を体験するために、台湾や中国からの滞在旅行者が増えています。長野県は地域独自の資産を活用しながら発展し、それが県民力につながるという発想ができる文化度GNCの向上を目指す施策をとっていくべきです。ツꀀ
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以上を踏まえ、GNP工業経済国を目指した時代からGNC文化やGNH幸福を重視する時代に移行することこそ日本と長野県の目標にすべきであり、そうすることで経済大国ではなくなりつつある日本は中央集権から地方分権、国民主権の文化大国、幸福大国になりえると思いますが、知事のご所見をお聞きします。ツꀀ
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今日から2月定例会が始まりました。日程を以下に記します。トライアル信州の議員の皆さんの登壇日が決まりました。2月25日木曜日に1番目島田代表 ・2番目今井議員、16番(3月1日月曜日2番目)小林議員、23番(3月2日火曜日最初)永井議員となりました。
<2月定例会の会期予定>
2月17日(金) 開会、知事提案説明
2月18日(木) 議案調査のため本会議なし
2月19日(金) 議案調査のため本会議なし
2月22日(月) 議案調査のため本会議なし
2月23日(火)・24日(水) 各党派代表質問及び質疑
2月25日(木)~3月3日(水) 一般質問及び質疑
3月4日(木)~3月10日(水) 各委員会
3月11日(木) 議案整理のため本会議なし
3月12日(金) 各委員長報告・採決
3月15日(月)・16日(火) 役員の選任
3月17日(水) 役員の選任・閉会
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昨年有識者会議が設置された国の「できるだけダムにたよらない治水」への政策転換。その反面長野県は再調査どころか、説明会での質問に対する回答もあいまいなままに浅川ダム建設に突き進もうとしています。
村井知事の「県民の生命・財産を守る」とは、いったいどういうことなのでしょうか。活断層が走り、常に地すべりが起きている地帯になぜ?・・・。過去に上流の池の決壊で長野市中心街まで甚大な被害が出たことがありますが、地すべりが穴をふさいだらそれこそ「巨大な池」が出現するのです。歴代の建設部職員が「ダム建設阻止」の申し送りをしてきたことはいったい何を言わんとしているのでしょうか。狂った判断をこれ以上放置するわけには行きません。小さく生んで大きく育てるといわれる公共事業の典型。すでに国も県も資金が底をついている状態がわからなくなっているほど「病んでいる」のです。「県政の癌化」です。荒治療が必要です!
今日は村井知事に、明日は議長に提出します。
今日は、警察から始まって6つの部署の説明を受けました。最後の建設部は一時間を大幅にオーバーしての意見交換。欧米式の「自然を征服・コントロール」して人間本意の改革・発達をしてきた結果が今なのに、少しもわかっていない県執行部。
さて、どんな切り込みをしていくのか。ワクワクしてしまいます。応援よろしく!長野をチェンジ!世界が変わる!
節分祭の報告が島田代表からいただきました。地域社会のつながりを大事にする心温まるお話。
その前振りに代表のこんな一文。
「・・・庚虎年の今年は女性の怒りが世の中を支配する年のようです。女性の価値観が経済、社会再生のカギを握っているようですね。」
こんな直観が働く人が増えてほしいと祈ります。そして、この「怒りの豆」が日本のみならず、全世界から「自然もこころもないがしろにしてきた鬼ども」を追い払う力を出してこれることをこいねがうものです。それこそ、代表のおっしゃるような「みんなの和の心」を結集して。
節分祭の報告
今年もお蔭様で35回目の節分祭を上田地域でにぎやかに行わせて頂きました。
地域の人と人、人と自然歴史文化の「つながり-絆」の再生を願う「年中行事保存会」として、私は紋付羽織袴姿で恵比寿、大黒、お稲荷さん等沢山の福の神を伴い毎年続けてきました。
私の友人民族文化研究家益子さんのご指導ご協力を頂き昭和50年頃から続けてきております。「地域に根ざした民族文化や年中行事を、伝統を重んじながら次世代に受け継いでゆく為に、社寺や身障者福祉施設、地域社会を応援する」として、独特の節分祭を実施してきました。古式ゆかしい服装で市内外をめぐり、儀式を行ってきました。
「年中行事を甦らせる事で、行き詰まった人や地域に「つながりー絆」が再生され、ふるさとを愛する心を育む機会になる様に」と願って行ってまいりました。
全ての「つながりー絆」が切れてしまった日本社会と日本人です。そんな時代だけに「和の心と地域社会の再生」につながればとささやかに願い行っております。
節分祭も最初は地元の神社、国鉄上田駅から始まり商店街、福祉施設へと広がってゆきました。十数年前から企業団体も加わり訪問先も増え二日間行うようになりました。
節分祭を始めて十年ほど経ってから衣装が汚れたので洗濯と思っておりましたら、知り合いの、京都の帯屋さんから、「この金襴の着物は相当に高価な着物です、普通の洗濯屋に出すなんてとんでもない、この辺の洗い張り染み抜きやさんでも無理ですよ、専門業者が多い京都に洗い張りに出す様に」と言われました。その頃我が家では和服しか着ない母が生きていましたので年に何度か京都から、和装帯屋さんが戦前から親子二代に亘り我が家に商いに来ておりました。彼は本物の和の文化の担い手で本物を見極める目と感性を持っていると、母は信用していました。母にも益子さんにもそのほうが良いと言われました。しかし五着分の洗い張り料は数十万という目の玉が飛び出るほど費用が掛かりました。
京都の業者には「あまり無い本物だけに気を使ったがかなり安くサービスしておいた」と言われました。其れまで衣装を気楽に提供してくれた益子さんの好意の価値の大きさに改めて気づかされました。金襴の本物の着物の価値が恵比寿大黒様を輝かせていたのです。
人形店を経営している益子さんと共有の友人関さんから頂いた高級人形の金襴の生地を使い、益子さんが自分で手縫いで何年も掛かり作られた五着の神様の着物は特別な衣装でした。数年前からはこの大切な衣装は益子さんからご寄贈頂き島田事務所で保管させて頂いております。地域社会再生と街中を応援する年中行事としての節分祭は持続可能な行事としての定着が必要です。そのためには為には持続可能な活動が必要です。私が県議に出た約二十年ほど前から年中行事の地域普及、PR活動も兼ね協力を頂く為の、企業団体周りも始めました。最近は多くの皆様からご理解、ご協力を頂き活動も充実して参りました。
お蔭様で商売繁盛と無病息災を祈願する「会社の年中行事」として心待ちにして頂ける様になりました。演じる参加者が増え益子さんから頂いた衣装を皆使っても大切に保管する事ができます。少子高齢化社会に入った十年程前からは老人福祉施設、保育園、幼稚園等が増え喜ばれています。
本年の年中行事を守る会の節分祭は2月2日「火」と3日「水」の二日間行いました。
恵比寿、大黒、稲荷さん、おかめ、ひょっとこの庶民神々と二人の真田木遣りを引き連れ、七福神で太古や銅鑼に合わせて「恵比寿大黒、目を覚ませ。歳徳人も豆まいれ」と、恒例の節分会の言葉を唱え、又、本年は副踊りを加えより景気よく歩くことができました。
二日間福神と共に紋付羽織袴の年男として500軒程で声を張り上げ節分祭を行い廻って参りました。そして夫々の家が福の神の力で周りの「全ての生命いのち」と「生命―いのちのつながり」を、「和の心の絆」として強く結んで頂けるように、心を込めて節分祭事を行わせて頂きました。多くの家や人々に福を運ぶ行動は廻るたびに私達の方が多く福を頂き心が輝いてきました。皆さんも是非来年は参加して下さい。
節分祭を続けることが「自然と歴史につながる和の心と地域社会再生」の原動力になる事を願いご報告、御礼とさせて頂きます。
寒さ益々厳しい中、皆様のご健勝ご活躍心からご祈念申し上げます。
ありがとうございました。