日々若葉が繁り、ゴールデンウィークも間近かになってきました。各地の花の便りが新聞等で報じられていますが、どこも本当に美しく、命の輝きが感じられる今日この頃です。我が家の庭でも、毎日ぐんぐん伸びる草花の成長をみていると、生命力の躍動する音が聞こえてくるような思いに駆られ、昨日まで咲いていなかった花、出ていなかった葉の急成長に目を瞠るばかりです。
日々変わる景色の変化が魔法のようで、不思議な思いが心に満ちる芽吹きの季節です。
そんな美しい季節に、緊張感を持って政務調査資料の作成を急いでいる、心に余裕のない自分がいる事が、ふと可笑しく感じてしまいます。
頑張って、連休前に仕上げてしまわなくては・・・と今日もしなの鉄道に揺られながら考えている私です。
26日から今井議員は、県民協同ネットの視察に同行し、沖縄へ行く予定です。
今日の暦を見ると「穀雨」となっています。「穀雨」について調べてみると、この頃の雨は穀物だけでなく、あらゆる植物の生長を助け、山野は穀雨の恵みによって緑のカーペットに覆われます。もともとは、秋に種をまいた麦類の生長を助ける雨のことで、麦は穂が出て実を着けるようになります。 穀雨の節気の終り頃、八十八夜(5月2日)となります。立春から数えて88日目のことです。
暦便覧には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。>との事です。
新年度となり様々な会合が開かれていますが、本日は千曲市で「長野県傷痍軍人会第53回・長野県傷痍軍人妻の会第43回合同大会」が開かれ、今井議員が出席しました。その後、構造改革特区の認定で上田市の「旧西塩田小学校を市から借り、県内で初めて株式会社が開設した通信単位制高校「さくら国際高校」の入学式に出席、知事や地元の島田議員等と共に通学型の21人の入学生とさくら国際高校の新たな第一歩をお祝いしました。
さくら国際高校は、不登校やひきこもり傾向の若者が無理なく個性を伸ばせるよう体験学習を交えた授業が特徴。年4回、集中的に学ぶ通信型と合わせると約530人でスタートとの事です。
通勤途上、しなの鉄道の車窓から見る毎日の景色は本当楽しみです。特にこの季節は、日々緑が増え、その緑色の色合いが様々で何と「緑」といわれる緑色が多いことかと気付かされます。
議会棟は4月になり、各会派の事務局は政務調査費のまとめに追われていますが、既に新年度の委員会が開かれ始め、本日は午後から商工生活環境委員会が開かれ、今年からは島田議員が担当することとなり登庁、初委員会に出席しました。
桜の花が綺麗です。
昨日の日曜日、天気予報では雨になりそうでしたので、駐車場が混まない早朝に母を乗せ上田公園の桜を観に行ってみました。
幸い青空が広がり、見事な桜が今年も咲いていました。
桜の花を見ると、私の頭の中はいろいろな思いが走馬灯のように巡ります。
私の父は癌で64歳で亡くなりました。今、自分がその年齢に段々と近づくにつれ、何と早い黄泉への旅立ちだったのだろうと改めて思います。
東京の病院で手術をし、それから7ヵ月後の4月23日、父は病による様々な苦痛から解放されて、静かに眠るように息をひきとりました。その数日前、つききりで看病していた母は、東京のホテルオークラへの道に咲く桜の小枝をたおり、余命幾ばくもない病床の父と最後の桜を愛でました。父の生まれ故郷の横浜で密葬、上田での本葬は一週間後の4月29日でしたが、この年(昭和58年)は、桜の開花が遅かったのでしょうか。父の帰りを待っていてくれたかのように本葬の日に桜の花が満開となり、菩提寺の参道の両脇に植えられた桜が素晴らしい花のトンネルをつくり、父を迎えてくれました。自然がプレゼントしてくれた父の最期の花道でした。悲しくも美しい光景が20数年たった今でも鮮明に浮かんできます。毎年、桜の花を見ると、父の優しさと大きさに触れる事ができ,心が温かく、せつなくなる私です。
本日は、今年度初の社会衛生委員会が開かれ、今井議員が登庁されました。
県教委が3月末に決めた高校改革プラン実施計画について旧通学区ごとに開く地域説明会が15日、木曽郡上松町から始まりました。29日までかけて県内12会場で開催する予定だそうです。
今井議員は、木曽まで出かけ説明会に参加したとの事。県木曽勤労者福祉センターには保護者や同窓会員の皆様約100余名が集まり、木曽高と木曽山林高を来年度統合するとした計画に対し、急な結論に対する思いや、実現の見通しをただす質問、地域の意見を反映するよう求める意見が相次いだとの事です。
会場には、まだ統合に半信半疑の高校生もきており、木曽高校生徒会長は「両校は普通科と職業科でカラーが違うなどあまりに課題が多い。来年度からの実施は本当にベストか」と質問したそうです。来年からの実施と言うのは余りに拙速であると憤慨している今井議員から「今井正子の雄叫びコーナー」をホームページに設けてどんどん発信して欲しいと要望されましたが、「稚拙な私の文章力では、今井議員の熱意の何分の一も表現できないから無理です」とお話し、今後ご自身で書かれた文を載せていただくことにしました。どうぞ、お楽しみに!!
桜の花が咲き始め春爛漫の今日この頃となりました。
県庁舎の入り口にも沢山のチューリップやパンジーが植えられた鉢が置かれ、春らしく明るくなり、思わずホッとするような雰囲気が漂っています。
今週は、10日(月)に高校改革プラン研究会が文教委員会と合同開催、11日は定例教育委員会の傍聴で今井議員が、12日は島田議員が政務調査のため、13日は広報委員会と議会運営委員会が開かれ今井議員が登庁されました。
本日は、県教委が3月末に決めた「高校改革プランの実施計画」について見直しを求める要望書を教育委員会と長野県議会議長に提出するため、PTAや同窓会でつくる大町高校と大町北高校の存続を守り育てる市民会議、岡谷東高校の存続と発展を図る実行委員会のほか、腰原大町市長、林岡谷市長・三浦佐久市長さんら約30人名程の皆様が県庁を訪れましたので、今井議員も同行しお話を伺いました。
長野西高校の定時制存続を願う小林ご夫妻もご不自由な御身体で参加され,熱意のこもった発言もされました。本当に頭が下がります。
健常者の私でさえ、原稿を打つ作業はらくではありません。小林さんは、1字打つにも身体に大変な負担をかけて渾身の力を込めて打たれていると思い、大変な作業だと思います。
以下は、そんな小林さんが本日の要望のために全身全霊をこめて打たれた「意見書」です。
深い感銘を受けました。
意見書
――長野西高通信制存続運動の源――
小林昭(てる)良(よし)
15歳の時、中学の担任から「あなたは高校へ行く能力はあるが、高校は義務教育ではないから、担任は面倒をみることができない。だから高校進学はあきらめよ」と言われ、本当に、泣きながら高校への進学を断念した。
くやしかった。切なかった。情けなかった。
布団の中で泣いた。
ただ少し、障害があるだけでなぜ、こんな理不尽な扱いを受けなければならないのか。
なぜ、私だけが級友と別れ、施設へ入らなければならないのか。
なぜ、私だけが故郷を離れ、別の世界で暮らさなければならないのか。
15の春、私の小さな胸は張り裂けんばかりであった。
こんな思いを子どもたちにさせたくない。こんな悔しい思いをさせたくない。ただそれだけがこれらの原動力なのだ。
選択肢は多いほうがいいし、身障者ほどその障害を補うべき教育が必要不可欠なのだ。私が親だったら、障害を持つわが子が泣き叫んでも、首に縄をつけてまでも、勉強はさせる。塾へ通わせ、家庭教師をつけてまで徹底的に勉強させる。
障者を持つ者がまともに生きるには、頭で勝負する以外に選択肢はないのだ。
当時の時代背景としてまだ障害者に対して、今ほど福祉面でも進んではいなかった。それにしてもこうしたことを、誰かが私に伝えて欲しかった。子どもに対して誰かが、勉学の必要性を説かなければならない。子どもがわかるはずないのだから。
改めて「長野西高」が、より障害者に開かれた学校となることと、長野市以北の利用者の利便を確保するために、「長野西高」の存続を強く願う。
一週間前に一輪しか咲いていなかった我家の梅の花が一週間で満開になりました。白・薄紫・濃紫の野スミレの花が清楚な花をつけて庭のあちこちに咲いています。春は素敵な彩を運んで来てくれ、淡い春色が大好きな私にとって、これからは日々楽しみになってきます。
本日は、午後から文教委員会と高校改革プラン研究会の合同会議が開かれ、今井議員が出席しました。
会議後、控室にて遅くまで(現在8時30分)、電話連絡や政務調査等に精を出しておられます。外は雨が降っています。
昨日の日曜日、『平成の大合併』で、旧上田市、小県郡丸子町、真田町、武石村が合併して新「上田市」がスタートしたことから初めての市会議員選挙が行われ、34人の新市議が決まりました。
今回の市議選は二つの選挙区『上田、丸子、真田の旧3市町を区域とする選挙区(定数32)と旧武石村を区域とする選挙区(定数2)』で行われ、当選者の地域別内訳は、上田22人、丸子6人、真田4人、武石2人です。特に上田地域では、定数を11人も上回る立候補者があり激戦となりました。
投票率は、上田、丸子、真田区域の選挙区が63・61%、武石区域の選挙区が83・30%と関心の高さが伺えました。
ただ、定数34名の市会議員のうち、女性の当選者が3名と少なく、当選された方は公明党・共産党と特定の組織から立候補された方達です。この地域では、特に旧上田市では、まだ無所属で出られるだけの土壌が出来ていないのか、女性が選挙に出る勇気がないのか、女性が当選できない何かがあるのかなと思い残念な気持ちです。
私の知り合いにも、とても素晴らしい方がいるので、こういう人が議員になったら上田市の市民益のためになるのにと思い立候補を進めましたが「とんでもない!」と、一笑にふされてしまいました。
県政において女性議員が頑張って御力を発揮されているのを目の辺りにしている私にとって、男女共同参画の時代、女性の声も反映できる上田市政になればと思います。その意味では、少し淋しい結果だったと感じました。