8月6日の昨日は、「原爆の日」。特集でカザフスタンのセミパラチンスクでの450回に及ぶ核実験のことが報道された。爆心から100km~150kmも離れていた地域の風下の村の人々が被爆し死に、今も64年たった今もガンや白血病で苦しんでいるという現実。旧ソビエトは動物実験では知ることのできない食物摂取による体内被曝をも調べるために、「大切な収穫期の風の特に強い日」を選んで実験を行った。1958年から30年間に渡り2万人の健康状態を調べたという第4診療所は、決して人々を「治療すること」はなかったと。
日本人の星教授は並行して、広島の実態をも調べ上げ、広島原爆投下3日後に『放射能汚染はない』と発表したアメリカの嘘と風下になった村の人々が今も原爆症に苦しんでいる実態を、世界で唯一核実験場の実態を知ることができたセミパラチンスクとの対比で説明していた。オバマ大統領がもしも真剣に考えているならば、アメリカ主導の戦争や実験をも即刻やめることを宣言すべきです。自国の臨海核実験ー報道されない多くのネイチブアメリカンが苦しんでいますーや、戦争のたびに使われる劣化ウラン弾で敵国民のみならず自国の兵士さえ被爆させるおろかな戦争ー核戦争阻止を。哲学なき覇権闘争を展開準備の米中の危うさよ。
それにしても、またも苦し紛れに「原爆症救済」をいう破綻党首。あんたにいう資格なんかない!日本のお金でどれほど人々を苦しめてきたことか。片手で殺戮、片手で救済。
『地球に生まれた喜びを享受することなく苦しみ続ける人々・・・』 真の反省はできるのか?
昨日・一昨日と、糸数女史・金子史氏・樽川女史各氏を囲んで今井議員の佐久支部が事務方となって勉強会が開催されました。沖縄選出の参議院議員でもある糸数氏は衆議院議員選挙選に入る忙しい中おいでいただき、「糸数慶子・沖縄を語る」と題して講演。佐久市内のホテル会場は詰掛けた聴衆でギッシリ。沖縄で生まれ生きてきた氏の長年の聞き取り、体験は一部しか知らない私たちには衝撃でありました。『戦争は勝者も敗者も同罪』という想いを強くしました。翌日は、会場を移動。小諸市内の「あかまんま」で、樽川氏の政治学習塾「しなの」開催。長年氏の元で学んでこられた方々参集。糸数氏のお話のほかに、山形大学教授の金子優子氏より、『女性の政治参加の拡大へ向けて』と題して、第29次地方制度調査会の提言について、お話いただいた。
質疑の時間が設けられ、その中で参加者のお一人が傷痍軍人だった亡きご主人のお話をされ、「偵察機で沖縄上空に差し掛かったとき、目前にたくさんのー虫のブヨのかたまりのようなー敵機群目撃、さらに眼下にはー青い海が広がっているはずなのにー島を取り巻く真っ黒な軍艦の群れ。あまりの光景に雲の中に逃げ込んでしまった。その情景を島人に伝えられなかった悔しさに、毎年6月になると毎晩うなされ続けた・・・と。糸数氏が話された「20万人もの米兵がそのとき島を空から海から取り囲んでいた事実」と一致。思わず涙があふれました。
樽川氏の「沖縄というと、私たちはいつも『後ろめたさ』を感じる」とおっしゃった言葉に、国際的冒険家の野口さんという人が遺骨収拾に南東の島に渡ったとき、「良く来てくれた。我々は60年も待っていたんだよ」と、何者かに呼びかけられたと。『肉体は滅んでも魂は存在する』事実を彷彿とさせるお話。先人の犠牲の上にわたしたたちは生かされています。怒り、憎しみの連鎖を断ち切る努力が求められます。
さらに、樽川氏曰く「政策決定の場に女性がもっともっと加わらなければ、この世はよくならない」と。政治も経済状況も息苦しいばかりの昨今、どんな状況でもたくましい華やかで希望に満ちた一時でした。