信州あずまや高原に建設中であった「らいてうの家」が竣工の運びとなり、5月28日にオープン祝賀式が行われる予定です。
「元始、女性は太陽であった」で知られる平塚らいてうの「平和・協同・自然」のこころざしをひらく「家」としてこの度建設された「らいてうの家」は、全国から募金を募り、陽光がふりそそぎ、からまつの芽吹きが美しい山林で、生前のらいてうが「いつか野の花、野の鳥と親しみたい」と買い求めた信州上田真田のあずまや高原にあります。
平塚らいてうの会の皆様や、地元女性建築家のプロジェクトチーム、全国の支援する皆様の情熱が結集されたこの家は、地域の文化の発祥地として今後活用されていくのではないかと思います。
島田議員の「らいてうの家」に対する思いがメールに綴られておりましたので紹介します。
日本一の女性の館に、日本一の心意気を持った蕎麦屋、酒屋、パン屋が、ボランテアで駆けつけてお祝いを盛り上げるなんていいですね。
女性達だけで造り上げた太陽の館「らいてうの家」信州男児がほっておくわけが無い。
信州男児としてだけでなく、私の場合は特に深いつながりと思い出が、信州唐松そして此処菅平や十の原、鳥居峠、四阿山、群馬県嬬恋村にあります。
明治から戦前戦後、私の家は林業家・木材業として唐松を商い、信州唐松、国産唐松の専門店として扱い量は日本一でした。昭和36年木材が貿易自由化されるまで、建築材に復興の為のビルや港湾の杭丸太等土木用材に、日本中の唐松を扱っており、特に菅平高原、隣の群馬県妻恋村等は、素晴らしい唐松が多く、品質の良さを誇っていました。その殆どを扱っていましたので、常に20箇所位の作業所があり、500人縲怩U00人の人が働いていました。上信越国立高原に当るその辺一帯の山は古くから我が家の縄張りと言ってよいような所で、血と心が通い命のつながりを感じています。特に「平塚らいてう」の家が出来たこの辺は、父や祖父達の命を感じます。
「らいてうの家」の辺に居るだけで楽しく明るく元気になります。
全てに優しく暖かくなり心も体も健康になります。
懐かしい我が家に居る感覚になります。
私の父は、私が20歳の時に59歳で亡くなる迄、落葉松ー唐松と共に生きてきたといっても良い人生でした。
山村の医者の次男に生まれ、小学校の教師をしていた父は、昭和のはじめ上田の島田屋材木店へ養子に来ました。教師をしていたので字は本当に綺麗で旨かったです。
しかし何故か「息子は信じられない程汚い」《(注)これは、島田県議の事です》
山村で育った所為か、自然が好きで五感が驚くほど豊かでした。
寂しがり屋で人が大好き、話が好きで上手な父でした。
絵、文章、音楽、詩歌、スポーツはプロ並で、感性は全て磨かれていました。
丙午の生まれでしたので、馬の絵と特に落葉松竏駐oシ林の絵や詩歌が好きでした。
今日は[晴天」と言う父の追想録を見てその一部を紹介します。
父が死を迎える少し前に書いたものです。
よく人生の長き旅路を
越えつるものと
深く思えり
そこはかとなく
転がり変る人世の荒波も
既に六十路なり
親の後追う心地して
心寂しく思えり
なんとなく 多賀晴
落葉松の道遠ければ 楽しみ深し林業の道
落葉松林を出でて又一つ唐松林あり
友を呼ぶ声木魂して 粉雪暫しわが頬をぬらす
落葉松に思う
落葉松の乳色の緑ふくらみ
一雨毎に春を呼ぶなり
落葉松の根笹の白雪解け始め
一葉一葉が首を起こしぬ
から松の林をみつめ幾春秋
信濃の山に思い出深し
から松に生きてホロホロ落ち葉散る
芽吹きを待ちて永久に語らじ
吾が仕事 美しく尊く思い 絵に描き
詩歌に詠いうつし残さん 多賀晴
私の「木の歌」も少し入れます。
早朝を歩めば香る木の塀にこれぞ我が住む町と思えりー基正
昭和62年ー歌会始ー御題「木」の時の私の歌「詠進歌」です。
その年、私は運よく日本木材青壮年団体連合会の会長をしておりましたので、在位60周年式典にお招きいただきました。
天皇陛下の御詠歌
我が国の立ち直り帰し年どしに、曙「あけぼの」杉の木は伸びにけり
ついでに基正の歌を少し
この大地 木魂息づくふるさとは 今木を使い造りあぐべく
新しき 暮らし始まる木の家の 幸せの明日しかと知らせり
木を選ぶ 心高ぶり我が家を 建てるごとくに嬉しかりけり
一心に 木削る匠老いを見せず 明日に伝う技の確かさ
父の遺伝子を少しは受け継いでいたのかも知れませんね・・・。
父は唐松を絵や字で書くときに針葉樹で唯一落葉する松を意識して描いてました。
春夏秋冬夫々の季節で落葉松は皆顔姿形が違います。
北原白秋が好んで歌に詠んだ素敵な物語を感じる木です。
天然唐松は、木の中でも最高の材料と言われています。
脂分が強いのは、建築材として使って数年経つと、赤みが強くなりべっ甲色といわれる綺麗な色に変化します。
腐れに強く脱脂乾燥して使うと家具や内装材にも使いやすくなります。
私は父亡き後、日本で最初に落葉松竏駐oシの脱脂乾燥、加工利用に挑みました。
そんな想いの落葉松竏駐oシのつながりが素晴らしい人達に会わせてくれました。
此処は明るく健康な「幸せを呼ぶらいてう」が沢山育ち、世界中へ飛び立つ拠点になる予感がします。
庶民が輝く楽しい場所にしましょう。
本日は午前9時30分から団会議を行い、新年度の政務調査活動予定並びに平成17年度の総括を行いました。
11時からサンパルテ山王で行われた「北陸新幹線長野県沿線広域市町村連絡協議会」の定期総会に島田・今井両議員が出席しました。
長野以北の新幹線開通に付き、設計協議も終盤を迎える一方、平成16年12月16日の政府・与党の申し合わせで、「長野・白山総合車輌基地間をフル規格化し一体化に平成26年度の完成を目指し、出来る限り早期の完成に努めることとする」と開業時期が明確化され、全線整備に向け着実に進行しているとの事。全線が開通すれば日本海と太平洋が近くなる感じで、北陸の方達は便利になると思います。それに伴い、長野県は通過駅が増えてしまうのでしょうか。
午後から公共交通等調査特別委員会が開かれ、島田議員が出席。委員会後、会派控室で政務調査をしてから帰られました。
各地に咲く花々や新緑・残雪が美しい信州のゴールデンウィーク。
信州を訪れた人たちがそれぞれに信州の素晴らしさを満喫し、新たな活力に満ちて、又通常の生活に戻られた事と思います。勿論、信州に住む私達も、この季節の爽やかさを充分味わい、家族サービスや命の洗濯、活力の充電ができたと思います。
妹達家族と過ごした私の連休は、五月晴れに恵まれ、里には満開の桜や草花、志賀草津ルートでは真っ青な青空に映える残雪の山々と雪のトンネル、飯綱高原では水芭蕉、戸隠神社では奥社の雪道等々、印象に残る自然の美しさを堪能し、花あり雪ありの醍醐味を存分に満喫し、一気に何か月分かの季節を味わったような嬉しい思いをし満足感が残った連休でした。
又、長野市内は、中央通り周辺を飾る「善光寺花回廊 ながの花フェスタ2006」が行われ、先日長野駅に降り立ったら、長野駅前広場に、チューリップの花びらを敷き詰めて創った彩り豊かな「花キャンバス」ができていて、思わず足を止めました。
この時期になると長野市は花に包まれ、毎年それを見て心が和み、豊かにして頂きますが、自然に心が潤い、綺麗だなと思える自分が元気で働いていられる事が本当に幸せだと、有り難く思います。
連休ボケしないように気を引き締めて、又今日から頑張って仕事です。
高校改革プラン勉強会が行われ、今井議員が登庁されました。夜遅くまで熱心に政務調査をされ頑張っていらっしゃいます。
ゴールデンウィークも最終日となりました。
島田議員の連休中の様子がメールで入っていましたのでご紹介します。
3日朝、剣道の達人より「斬られてたまるか」の講話を頂きました。
スキだらけに見える自然体の姿、形は美しくおおらかで、相手や見ている人の心に「愛と和」の命のつながりを感じさせます。美しい心と姿の人の剣道は、剣で人を打つ技術より、相手や見ている人の心を打ち感動させる試合をすると言いました。
古くから日本の剣道や柔道は、礼と形竏柱^を最も重んじてきました。
剣術や柔術ではなく見てやって教え、学ぶ「道竏窒ンち」にしました。
技術、テクニックより心の気付き磨きを与えてくれる道なのだと思います。
65歳初老の彼の姿は年を感じさせない健康な心と顔、体の輝きでした。
4日は、去年秋野麦峠へ引っ越した清水牧場チーズ工房へ行って来ました。
女工哀史の物語が伝えられる峠は、大自然の魅力に輝いていました。
清水牧場では、搾乳用に品種改良された牛ではなく、ヨーロッパで6000年くらい前から飼われている、ブラウン牛と言う牛の原種にこだわり続けています。
ブラウン色で、本当に美しい絵本に出て来る様な牛です。
牛は、夫婦で手塩にかけて育てられる範囲の30頭しか飼っていません。
何年も飼い牛が自然に生める間は生ませます。そして、牛が子供を産み愛情を持って育てるときの乳しか使いません。
清水夫妻のチーズは去年も世界一に輝きました。
夫婦2人で人、牛、羊、皆健康で子育てをし、食べていかれる酪農をしています。
そんな酪農を多くの人に教えたいと言っています。
何時か協力して酪農アカデミーでも造る手伝いが出来たら等と話しました。
彼ら夫婦の顔も姿も北アルプスの大自然そのものに見えました。
牛も羊も人間も「愛と和」で自然に生かされ健康に輝いている、清水牧場一度行って見てください。
5日「子供の日」は、ふる里のシンボルの山、太郎山へ登りました。
毎年5月5日には、頂上にある太郎神社のお祭りが有ります。
私は麓の小、中学校を出ておりますので、小さい頃より殆ど毎年太郎山へ登り、お神楽の奉納を見ております。
6日は、里山の様子を見ながら山菜取りに行ってきました。
山はゴミだらけで、消化できない命のつながりの無い物ばかり。
里の自然のホームドクターと救急医療体制を真剣に整備しなければ、と思いつつ自然の恵みを唯で頂いてきました。
もちろんお詫びにゴミも拾いながら。
7日は、真田幸村の390回目の正月命日です。
討ち死にしたゆかりの地大阪「安居天満宮神社」の供養祭。
真田丸の有った真田山「三光神社」、供養の為に真田家の祖先滋野氏が江戸時代に建てた「心眼寺」等へ、新上田市の市長、議長達と行って参りました。
今日から5月。夢のように日々が過ぎていきます。
相変わらず頭の中は政務調査活動報告書作成の事でいっぱいですが、明日から我が家へは妹達家族が信州の美しい季節と温泉を満喫しに横浜や千葉から出かけてきます。
ふるさと信州の素晴らしさと、家族の絆の温かさを皆で感じあう良い機会にしたいと思っています。
今井議員は沖縄視察から元気に戻り、大変充実した良い視察で沢山の事を学ばせてもらったと大喜びの電話が入りました。視察の疲れも見せず、今日もフル活動の一日の様子です。
上田市では、昨日の30日に上田市産院の存続を願い運動したお母さん達が中心となってつくった「いいお産を求める母の会」が中央公民館で勉強会を開き、自らのお産の体験を通し、出産を取り巻く社会環境を考えようと約50人の方々が参加されました。
上田市産院の存続を訴え県庁へいらした時も、輝く母親のパワーを感じましたが、今後も連携をとりながら多いに勉強し、お互い励ましあいながら生きていかれたら素敵だと思います。